以下の文章は、
建築家である筆者が、
1980年代の建築業界と、
高知県榛原町での
経験とをふりかえった文章です。
当時の建設業界は、
江戸時代の武家社会のようだと
僕は感じていた。
戦国時代の社会は実際に
武士を必要としていた。
武士の力によって、
武士の暴力によって、
中世の日本は近世の日本へと
脱皮できたのである。
平和な江戸時代がやってきて、
もはや社会は武士を
必要としなくなった。
しかし、江戸幕府は、
功績のあった武士階級を尊重し、
彼等の特権を温存した。
武士は士農工商の身分制度の
最上位に位置づけられ、
いばり続けることができた。
日本社会は、
一貫して温情社会であり、
過去の功績、
過去の特権は尊重され守られ続ける。
そして、すでに自分達が
不要であることに気がついた人々は、
自分達の倫理、美意識を
エスカレートさせることによって、
自身のレゾンデートル[=存在意義] を
アピールする。
時代が転換する時、
人間は昔から同じことを繰り返し、
前の時代のエリートは、
必死に延命を図った。
江戸時代の武士は、
まさにそのようにして
武士道を尖鋭化し[=激しくおし進め]、
自分達の存在を正当化しようとした。
戦国時代の武士は、
倫理や美意識よりも、
明日の戦に勝つことがまず大事な、
現実的な人達であった。
しかし、江戸時代に、転倒が起こる。
(隈 研吾『ひとの住処』より)
※本文中の[=]は、開成中の
付けた注・解説です。